不登校になった話:1
私は中学校1年生の冬に不登校になりました。
ある日、本当にその日の朝、突然学校に行くことを考えるだけで具合が悪くなり、その日は下駄箱前まで行った後、泣いて逃げるようにして自宅へと走って帰宅。
もちろんそんな私を見て両親も驚いていましたが、その日はとりあえず体調が悪いのだろう、ということで休ませてもらいました。
次の日から私は、中学を卒業するまで普通の人のように学校へ通うことはできませんでした。
いわゆる「不登校」と呼ばれる人は、今までクラスメイトにもちらほらいたのですが、その人たちに理由を聞く機会はありませんでした。
誰もが「いじめにあったのか」「先生が嫌なのか」「授業についていけないなど苦しいことがあるのか」と憶測するのみで、きちんと理由のある「不登校」の人たちには私はあまりであったことがありません。
もちろん、友達と喧嘩して行きづらくなってしまった、という人たちもいました。
ただ、私が不登校になってから出会った人たちは、皆「なんとなく行けなくなってしまった」人たちばかりでした。
私も、親にも、先生にも、なぜいけなくなったのかと聞かれ、皆理由があればそれを解決してあげると、前向きな話をして頂いてました。
ですが、私も本当に、ある日突然、学校に行くと体調が悪くなるという病にかかっていただけだったのです。
大人たちは理由を知りたがりましたが、理由の無い私はだいぶ肩身の狭い中学生活だったなと思います。
後に私は精神科のある病院で鬱病の診断を受け、うつ病で学校に行けませんという体で中学の一年生は終わりを迎えました。
今となって思いますが、当時、友達と友達の板挟みになったりすることが多く、人間関係で疲れていたなぁと、本当に今思い起こせばそれが理由だったのではと思います。
ただ、その理由はあくまでも引き金でしかなくて、自分の中によくないものや疲れがたまりにたまって、その引き金を引いてしまっただけなんだと思います。
いい大人になってから思うことが2つあります。
一つ目は、学校で人間関係を築けなくても、そのあとにチャンスは何度でもあること。
二つ目は、行けない理由にこだわるより、学校に行けなくなった今自分が何をすべきかを考えるか。
一つ目の話。
学校では勉強の他に集団行動の勉強が…なんて言われたりもしますが、今ちょっぴり心のすさんだ大人になった今、「ただ同じエリアに住んでいるだけの同い年」の人たちと、強制的に仲良くしなくてはならないのが学校なんだなぁと思います(荒んでてごめんなさい
もちろん性格が合えばそこから最高の友達が見つけられるとは思いますが。
でも、学校に行かなくても、友達は別の場所でも、次の学校でも、趣味のフィールドでもいくらでも作れますから。今無理しなくてもいいんじゃないかなーと今では強く思っています。
二つ目の話。
行けない理由を探しても、結果的にいけない事実は変わりませんので、理由を追及する大人たちには、本人が今どう過ごすかを一緒に考えてほしいなあと思います。
私は授業には出ませんでしたが、某通信教育で自力で勉強し、定期テストは保健室で受けていました(点数を取らないと義務教育でも留年はあると言われたため、学習している証明が必要でした)
本人も学校に行けないことはすごく苦しいし、もがいているので、自分にとって最善の日常の過ごし方が見つけられれば少しでも罪悪感は減ると思います。
だらだらと不登校の自分語りをしてしまいましたが。
私がこのブログを通じて言いたかったことは、学校に行かなくてもちゃんと大人になって働いて結婚して今元気に生きているよ!ということです。
不登校の時はホントにお先真っ暗だと思っていたし、頼れる人もいないし、鬱はひどいしで本当に辛かった記憶があります。
でも、未来に少しでも希望が持てれば、全然気持ち違うと思いますし、もし不登校の人の目に留まった時に、少しでもホッとしてもらえたらという気持ちでブログを書いています。
誰かの力になれますように。